元の価格は 450,000 ₩ でした。400,000 ₩現在の価格は 400,000 ₩ です。
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説明
倭城のうち、最西端に位置する順天倭城から文禄・慶長の役の際に激しい攻防戦が繰り広げられた晋州城を回るツアー
全羅南道・順天市(シュンチョンシ)から慶尚南道・蔚山市(ウルサンシ)まで続く海岸ベルトには、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に築き上げられた16世紀の倭城が多く残ってあり、かつての歴史を今に伝えています。
南海岸の各地に残っている日本式の城のうち、最西部に位置する全羅南道・順天市の順天倭城は、慶長の役(豊臣秀吉による二度目の朝鮮出兵)に小西行長らが率いる14,000兵と明・朝鮮連合軍が2度にわたって、最後・最大の戦いが繰り広げられた倭城です。
泗川の戦いで有名な釜山市と順天市のほぼ真ん中に位置する泗川倭城と付近の泗川朝明軍塚をまわり、壬辰倭乱(文禄の役)の最高の激戦地としても有名は晋州城と国立晋州博物館を見学します。
ツアー日程 |
釜山市内ホテル出発 (午前8時) → 順天倭城(スンチョンウェソン)→ 食事 → 泗川倭城(サチョンウェソン) → 晋州城(チンジュソン) 、国立晋州博物館 → 釜山へ |
所要時間 約9時間30分所要 |
順天倭城は、朝鮮と明の連合軍との戦いが行われた場所であり、豊臣秀吉の朝鮮出兵中の最大の決戦が行われたことで知られています。倭城は、宇喜多秀家と藤堂高虎によって築城され、小西行長率いる日本軍の拠点となりました。
豊臣秀吉の死後、小西行長の日本軍は撤退するための退路を確保するため、ノリャン海戦で朝鮮の李舜臣将軍が戦死するなど激しい戦闘が繰り広げられました。現在は、倭城の外城と内城の城壁が復元されており、天守閣からは埋め立てられた産業団地が見渡せます。
倭橋という名前は、倭城の築造時に海水を引き込むために橋が架けられたことに由来しています。順天倭城は、文禄・慶長の役の最後を物語る場所であり、全羅道唯一の倭城である。
晋州市から15kmほど南に位置する泗川船津里倭城は、1598年に島津義弘と島津忠広率いる島津軍が朝鮮連合軍との四川合戦で勝利した場所であり、現在は船津公園として一般公開されています。
城内には、ほぼ復元された石垣や城門があり、1,000本以上の桜が植えられており、花見の名所として親しまれています。道指定記念物第80号である四川朝明軍塚も周囲に位置しています。
晋州市は李朝時代の古い建物が多く残り、静かな京都のような雰囲気がありますが、文禄慶長の役の時に最も激しい戦闘が行われた晋州城があります。南江に沿って築かれた晋州城は、現在、市民の憩いの場となっており、夜や夜明けには散策することができます。
城の入り口には美しい矗石楼(チョッソンヌ)があり、戦争時には指揮本部として使用されました。また、義妓ノンゲが日本軍の将軍を抱きかかえたまま川に身を投じた場所でもあります。
晋州城の中には国立晋州博物館もあり、文禄・慶長の役に関連する資料が展示されています。
17時30分~18時ごろ
利用条件 |
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利用料金 車の料金は、1台の貸切料金ですので、1人でも複数人でも料金は同じです。 |
別途料金 食事代、ドライバーの食事代(15,000ウォン)、通行料、駐車代、施設利用料、入場料 |
含む料金 車両、燃油代、ガイド兼運転手 |
使用車両 グランドスターレックス:9人乗り、11人乗り(運転席、補助席付※トランクなし)/ 適正乗車人員6名 |
1時間延長料金 20,000ウォン |
ピックアップ 釜山市内のホテル |
お支払い ツアー代金は、基本的に韓国現地でのウォンになりますが、円の支払いも可能です。 |
キャンセル もし、キャンセルの場合、前日は料金の50%、 当日は料金の100%をキャンセル料としていただきます。 |
言語対応 韓国語、日本語 上記以外の言語は通訳アプリを使用します。 |
主催旅行社 Busannavi.Inc |
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