全羅南道順天の東南に位置する順天倭城は、慶長の役(1597年)の際、宇喜多秀家と藤堂高虎が全羅道を攻略、最後の防御基地として3ヶ月にわたって築城された倭城です。
当時、小西行長が率いる13000余名の日本軍がここに駐屯しながら繰り広げられた朝鮮・明の連合軍との二度の倭橋城戦いは豊臣秀吉の朝鮮出兵の最後・最大の決戦だったと伝わっています。
豊臣秀吉の死後、小西行長の日本軍が日本に撤退する退路を確保するために釜山(ブサン)と泗川(サチョン)などから順天(スンチョン)へ救援に向かった日本水軍と露梁海峡で行った露梁海戦で、朝鮮の李舜臣将軍は日本軍を追撃中に流れ弾に当たって壮烈な戦死を遂げることになり、小西行長らは露梁海戦の間隙を縫って脱出に成功し、釜山を経由して日本に帰国するという7年間の文禄・慶長の役の最後を物語っている場所です。
倭橋という名称は、倭城の築造の時に日本軍が檢丹山城の陸地部分を切り出し、海水を引き込んだ堀に橋を架けたことから由来しており、全羅道唯一の倭城ですが、現在は天守閣から眺める海は埋め立ての産業団地として造成されており、お城の外城、内城の城壁は綺麗に復元されています。
スポット名 | 順天倭城 スンチョンウェソン / 순천왜성 |
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住所 | 全羅南道順天市 海龍面新城里 山1外 전남 순천시 해룡면 신성리 산1외 |
電話番号 | 順天市文化観光課 061-749-3226 |
入場料 | 無料 |