茸長寺址 三層石塔
南山(ナンサン)は新羅(シンラ)人たちに1千年という長い間に神聖化され、仏国土だと思ってきた山である。
釜山から約1時間走ったところに1000年という古い歴史と昔の先祖の息吹が未だに感じられる都がある。韓国の秀麗な曲線美を最大に生かして作られた韓国伝統の瓦葺の屋根をシンボルにしている慶州トールゲートを潜ればたちまち世界が変わり、目の前にはいにしえのたたずまいが広がる。そこで旅人は千年の歴史が刻まれている都に触れ、新羅(シンラ)と出会って語り合うことになる。
仏紀2546年の「仏様のお誕生日」(19日)を控えて訪ねたところは慶州の南山(ナンサン)である。南山(ナンサン)は新羅(シンラ)人たちに1千年という長い間に神聖化され、仏国土だと思ってきた山である。あの南山(ナンサン)に登れば娑婆っ気が抜けない私も仏性に触れることができるだろうか。
末広がりの山裾に遥か昔から現在に至るまで栄枯盛衰を繰り返してきて歴史と切なる伝説が漂い、時には若者の心身修練場として、民衆においては神聖なる信仰地であり、仏教の聖地であった南山(ナンサン)にはお寺の趾と仏像がそれぞれ1百個が超え、石塔も80余個に至るほど山々に散在していて南山の遺跡を全部巡るのに一日または二日の日程では限りがあるので今日は茸長谷(ヨンジャンコル)に沿って南山(ナンサン)で世間にもよく知られている茸長寺(ヨンジャンサ)の趾にひっそりと聳えている茸長寺趾(ヨンジャンサジ)三重の石塔まで登ることにした。
慶尚北道の慶州(キョンズ)市に位置している茸長谷(ヨンジャンコル)の入口(内南面茸長谷里)には5月のアカシアが床しい花の香りを漂わせている。海抜350メートルに位置している茸長寺(ヨンジャンサ)は南山の代表的な峰である金鰲峰(グムオボン、4百68m)と高位峰(コイボン、4百94m)間に位置している。韓国の35号国道の道沿いの茸長里の500番座席バスの停留場から4百メートルほど小道を歩いて行けば広い空地が現われ、山登りが始まる。茸長寺(ヨンジャンサ)の趾に行くならここの飛び石を踏んで小川を渡らなければならない。
茸長谷の周辺ではちらほら「谷の水は住民たちが飲み水として使われていますので汚さないで下さい」と書いてある立て札が目に付く。韓国のほとんどの谷が汚染で苦しんでいるこのごろであるが、谷の水をそのまま飲めるというのは珍しいことである。
山道が終わるところで小川を渡ってまた小川を越えて行くと山道は二つに分けられる。左手の道に沿い、シンウデ(山で自然に伸びる竹)が生い茂った茂みの間を4百メートルほど歩いていけば目の前が広くなり、茸長寺の趾が現われる。
生い茂った草の間で瓦切れと礎だけがいくつか残っている。お寺の趾の裏手に残っている高い石垣を見ると昔は結構大きい規模のお寺だったということが分かるようになる。統一新羅時代の大賢(デヒョン)お坊さんが法相宗を開いたお寺として知られている茸長寺(ヨンジャンサ)は朝鮮時代に入ってなくなってしまった。
お寺の趾の掲示板には朝鮮時代の梅月堂(メウォルタン)金時習(キムシスッ、1435~93)がここに泊まりながら韓国の最初の漢文小説であるグムオ新話(金鰲新話)を書いたところだと紹介されている。
グムオ新話(金鰲新話)」の金鰲は茸長寺(ヨンジャンサ)が佇んでる金鰲峰(グムボン)から名付けられたと伝えられている。
「茸長谷が深いから行き交う人が見られない/通り過ぎる雨にシンウデはあちこち咲き始め小さな窓際に鹿と共に夢を結ぶ古くさい椅子にはほこりだけが灰のようたまっている/それにも構わずこんこんと眠り続けている。すすき陰で(キムシスッの漢詩「茸長寺」のハングル翻訳の中で)」
お寺の趾から東北方向を眺めれば高い岩の上に三重の石塔が空を向けて聳えている。仏様が私を見下ろしながらまるで早く登って来なさいと手招きをしているようだ。
茸長寺三重の石塔(宝物186号)である。茸長寺の石塔まで登って行くためには木の枝に結んでいる表式のリボンに沿っていけば辿り付ける。峰にやっと辿り付いたと思ったら石仏坐像(宝物187号)と磨崖如来座像(宝物913号)が私を迎えてくれる。
磨崖如来佛の前を通り過ぎ、峰の右の方へ曲がって登ると遂に三重の石塔に出会える。石塔の前に立つと南の方へ高位峰(コイボン)がにょっきりと立っていて西の方には兄山江(ヒョンサンガン)の枝の含んだ拜里(べり)平野が目の前に広がる。
統一新羅時代に造成された石塔の殆どは上、下層の基壇になっているがこの石塔は上層基壇一つしかない。石塔が立っている高さ4百メートルに相当する峰全体が下層基壇に当たるので3重の石塔の高さは4.5メートルに過ぎないのに「世界で一番高い石塔だ」と言われる理由はここにあるだろう。 わずか4.5メートルの構造物に過ぎないこの石塔がまるで大きな胸で山々と円い空をやさしく抱えるような心遣いが私を感動させる。
森羅万象(宇宙間の万物のあらゆるもの)を抱えて同時に森羅万象の中で唯一のになろうとするのが仏様の心ではないだろうか。
自ら塔の前で私の両手が合わせられた。“何とぞ森羅万象である皆さん、安らかに成仏してください”。
キムシスッ(金時習)が見た鹿が山奥どこかに眠っているかも知れないという考えが突然浮び上がった。雲に隠れていた日がいつのまにか三重の石塔の上で微かな日の光を振り撤いていた。
行き方: 慶州市外バスターミナルで市内座席バス500番に乗る(茸長谷(ヨンジャンコル)までの所要時間20分)
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