韓国歴史旅行– 韓国遺跡地区 –
-
甘山寺
亡き父母のために建立したと伝わる統一新羅時代の寺院 新羅の都、慶州観光のメインと言えば、吐含山(トハムサン)の麓と中腹に位置している「世界遺産」仏国寺と石窟庵観光が定番ですが、あの吐含山の南西麓に石窟庵の石仏より造成年代が早いと言われる二... -
新羅窯
李氏朝鮮時代は白磁、高麗時代には青磁があれば、新羅時代は新羅特有の土器があります。 慶北慶州市の散在している古墳から発掘された新羅土器が再現されたのは、40余年の前のことでした。慶州市ハ洞慶州民俗工芸村にある新羅窯の名将リュヒョウン(69)さん... -
新羅歴史科学館
千年以上の遺跡があちらこちらに散らばっている慶州ですが、今なお解けない謎に包まれている遺跡や建造物が数多くあり、その遺跡の謎を迫る場所が慶州民俗工芸村の中にあります。 慶州民俗工芸村に位置している新羅歴史科学館は、新羅時代から李氏王朝の世... -
掛陵
まるで王陵を護るように並んでいる8体の石像と王陵の周囲を囲む十二支神像は現存する新羅王陵の中で、彫刻技法がもっとも優秀であると言われる掛陵(クェルン)は、新羅第38代の元聖(ウォンソン)王の陵墓だと推定されています。 陵を掛けるという意味を持... -
明活山城
5世紀初期に築城された新羅時代の石城 -
双渓寺
お花見の名所として有名な十里桜通りの終点地にある新羅時代のお寺! 智異山の山裾に位置する双渓寺は国宝47号1点と宝物3点を有する新羅時代のお寺です。 -
華厳寺
韓国の国立公園の第1号に指定されている智異山(チリサン)は、釜山(プサン)西部の全羅北道(チョルラプット)、全羅南道(ナムド)、慶尚南道(キョンサンナムド)の3つの道にまたがる霊山として昔ながら広く信仰されてきました。 智異山(チリサン)の山麓には、... -
固城博物館・松鶴洞古墳群
小伽耶の都・固城郡に位置しており、博物館の裏には史跡119号の松鶴洞古墳があります。 -
益山 石仏寺
こんにちは、2015年世界文化遺産に登録された弥勒寺址から北へ約3キロほど離れた場所に百済時代に作られたと推定する石仏と光背があります。最近作られた仏頭を除いた高さ156センチの石仏寺の石仏は、1989年、2011年の2回にわたって行われた馬韓・百済文化... -
師子寺址
こんにちは、2015年世界文化遺産として指定された弥勒寺址が一望できる海抜426.9メートルの弥勒山には弥勒寺創建にまつわる説話が伝わる百済時代の師子寺があります。 百済の武王(600~641)と王妃善花公主が弥勒山(旧龍華山)の獅子寺へ行こうとした時、... -
益山 帝釈寺址
基本情報 スポット名 益山 帝釈寺址 住所 全羅北道 益山市 王宮面 王宮里 247-1 전라북도 익산시 왕궁면 왕궁리 247-1 詳細情報 史跡 第405号、百済時代 [Google_Maps_WD id=596 map=294] -
鶏龍山甲寺
鉄幢竿支柱(統一新羅) 宝物第256号(上)と甲寺浮屠(高麗時代) 宝物第257号(下) 基本情報 スポット名 鶏龍山甲寺 계룡산갑사 住所 忠清南道 公州市 鷄龍面 中壮里 52 충청남도 공주시 계룡면 중장리 52 電話番号 041-857-8981 時間 08:00~18:00 休... -
大通寺址(公州班竹洞幢竿支柱)
基本情報 スポット名 大通寺址(公州班竹洞幢竿支柱) 대통사지(공주반죽동당간지주) 住所 忠南 公州市 大通1ギル 班竹洞 충남 공주시 대통1길 반죽동 建立 529年 主な遺物 公州班竹洞幢竿支柱(統一新羅時代) 宝物第150号 班竹洞石槽 宝物第149号 現在、... -
石莊里博物館
忠淸南道 公州市に位置する韓国で最初に旧石器が発掘された遺跡地 こんにちは、2015年ユネスコ世界遺産に登録された百済歴史遺跡地区・公山城と宋山里古墳群をゆっくり見学して公州市内を流れて行く錦江に沿って東南へ約6キロほど行ったところには韓国最初... -
熊津百済文化歴史館
百済歴史遺跡地区の武寧王陵と宋山里古墳群の入口にある展示館 こんにちは、百済歴史遺跡地区の武寧王陵と宋山里古墳群の入口に位置する熊津百済文化歴史館です。2013年7月16日に開館した熊津百済文化歴史館は、公州市に存在する熊津百済時代の遺跡や歴史... -
宋山里古墳群(武寧王陵)
538年泗沘(サビ)(現在忠清南道の扶余(ブヨ)郡)へ遷都するまでの64年間、百済首都だった熊津(ウンジン・現在忠清南道の公州(コンジュ)市)に造られた百済時代の王や王陵が眠る宋山里(ソンサンニ)古墳群 -
扶余 聖興山城(扶餘 加林城)
百済が新羅・唐連合軍に滅亡された後に起きた百済復興運動の拠点にもなったお城 -
扶余官北里遺蹟
プヨ市内の北側にある扶蘇山城(106メートル)からプヨ市内へ降りたところに百済サビ時代(泗沘、今の扶余、538~660)の王宮跡だと推定される扶餘官北里遺蹟があります。多年間にわたる発掘の結果、7間×4間に東西の長さ35メートル、南北の長さ18メートル... -
扶余羅城
こんにちは、百済の首都、泗沘(サビ)を保護するために自然地形を利用して扶余の外郭をめくらせた土の城壁です。百済の聖王(24代、523~554)のときに築城されたという扶余羅城(プヨナソン)は、扶余市内にある扶蘇山城から約300メートルほど離れたとこ... -
扶蘇山城
プヨ市内の北側にあり、遊覧船が通う白馬江(白村江)の川辺にある小高い山・扶蘇山(106メートル)に造られた百済時代の山城です。扶蘇山城は、538年、百済の26代の聖王が熊津(ウンジン、今の公州)から泗沘(サビ、今の扶余)に都を移した後、660年、百...