金庾信将軍墓
金庾信将軍墓
金庾信将軍墓
金庾信将軍墓

古代の韓半島は、北部には高句麗、南西部は百済、南東部の新羅が対立し、7世紀まで、領土争いの激しい戦争が繰り返されたのですが、太宗武烈王(金春秋(キム・チュンチュ))7年、金庾信(キム・ユシン)は、中国の唐と連合して百済を滅ぼし、文武王8年(668)には高句麗を併合させ、中国の唐も韓半島から追い出して三国統一を成し遂げるようになります。

このように半島の三国統一に大きな役割を果たし、死後、興徳王(在位:826年 – 836年)の時代にって興武大王に封じられる人物が金庾信将軍です。2009年5月から放送された新羅初の女王の波乱万丈の一生を物語るMBCドラマ「善徳女王」にキム・ユシンの青年時代が描かれ、キム・ユシン将軍の墓がある新羅の古都慶州を訪れる多くの観光客に人気を集める観光地になりました。

古墳の十二支神像は、墓を正面からみて左側から次の順番とおりに並んでいます。
巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)、子(ね)、 丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)

武王14年(674)に築造されたと伝わる史跡第21号のキム・ユシン将軍の墓は、円墳の周りを頭は動物で、身体は人間の姿をした十二支神像の護石をめぐらせ、新羅の英雄であり軍神だったキム・ユシン将軍の墓を守護しています。また、新羅の普通の十二支神像は、武官服になっていますが、こちらは文官服の身なりで様々な武器を持って、右向きになっています。慶州には、仏教の影響を受けた多数の三国統一時代の古墳がありますが、その中でも十二支神像が刻まれている護石の状態がもっとも良いと評価されている墓のひとつです。

慶州市外バスターミナルから将軍の墓までは、約1.8キロほど離れており、徒歩では約30分、バスターミナルの近くにあるレンタルサイクル店で自転車をレンタルしますと約8分くらいで行けます。

基本情報
スポット名 金庾信将軍墓
住所 慶尚北道 慶州市 忠孝洞 山7-1
경상북도 경주시 충효동 산 7-1
電話番号 054-750-8500
時間 午前9時から午後6時まで
休業日 年中無休
入場料 大人1,000ウォン 青少年600ウォン

行き方:慶州市外バスターミナルまたは高速バスターミナルから一般タクシーを利用する。所要時間約5分くらい

※上記の記事は取材時点での情報を元に作成しています。 現地の事情によって今とは内容が異なる場合がありますので、ご了承ください。
作成者
Park Bogyu
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