忠淸南道 扶余郡の中心部に位置する定林寺址は、百済が扶余に都を移した泗沘百済時代(538年から660年まで)に建立された百済時代のお寺です。
定林寺址(チョンニムサジ)は、益山(イクサン)の彌勒寺址石塔とともに百済時代の代表的な石塔といわれる高さ8.33メートルの定林寺址5重の石塔と高麗時代の石仏坐像を保護するため、1993年に建てられた切妻屋根の木造建物と蓮の池があります。
優雅な美しさを披露するように立ている定林寺址5重の石塔には百済滅亡に纏わる話があります。660年新羅と中国の唐の連合軍によって百済の泗沘都城の扶余が陥落され、百济は幕を閉じるようようになりました。
戦争に勝った唐の軍人の蘇定方(ソ・ジョンバン)は石塔の1階の塔身石に百済との戦争に勝った記念として「大唐平百済国碑」という字を刻み、中国の唐が百済を平定したという意味を持つ平済塔として呼ばれてきましたが、1942年に行われた発掘調査で、「太平八年 戊辰 定林寺 大藏唐草」という文字が刻んでいる瓦が講堂跡から出土されました。
お寺の名称が高麗時代の玄宗19年(1028)当時にあった定林寺と証明され、定林寺址5重の石塔と呼ばれるようになりました。
瓦を基壇として使う定林寺址の回廊
百済時代からある蓮池と金堂址
扶余・定林寺の伽藍配置は、中門、五重の石塔、金堂、講堂までが中心軸線が南北に一直線上に置かれて建物の廊下が建物を囲んでいる一塔一金堂式の伽藍配置になっています。
高麗時代の定林寺址石仏坐像 宝物第108号
定林寺址博物館
定林寺址の近隣に2006年9月に開館した定林寺址博物館には、中央ホール、百済仏教文化館、企画展示室、野外展示場などがあり、旅行の疲れがとれる休憩室や百済関連の本やお土産などが購入できるエリアも揃っています。
また、近所には国立扶余博物館もありますので、徒歩で両方を見学することも出来ます。
スポット名 | 扶余定林寺址 プヨ チョンニムサジ 부여정림사지 |
住所 | 忠清南道 扶余郡 扶余邑 東南里 254 충청남도 부여군 부여읍 동남리 254 |
電話番号 | 041-832-2721 |
観覧時間 | <扶余定林寺址> 夏季(3月~10月)9:00~18:00 / 冬季 (11月~2月)10:00~17:00 <博物館> 10:00~17:00 旧正月、秋夕当日休み |
入場料 | 大人 1,500ウォン、青少年 900ウォン、子ども 700ウォン |
サイト | http://www.jeongnimsaji.or.kr/ |
※上記の記事は取材時点での情報を元に作成しています。
現地の事情によって今とは内容が異なる場合がありますので、ご了承ください。