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釜山倭城

釜山港が一望できる釜山浦倭城

釜山港を見下ろす釜山倭城は、釜山港の向こうに日本の対馬が見える海抜130mほどの増山公園に位置しています。

15世紀、倭寇の侵略から釜山浦を防衛するための朝鮮時代の釜山鎮城というお城がありましたが、1592年4月13日、釜山浦に最初に上陸した豊臣秀吉の朝鮮出兵第1陣の小西行長、宗義智によって陥落し、この台地に毛利輝元と毛利秀元が1593年3月から8月まで約5か月にわたって築城しました。

戦争初期から1598年に豊臣秀吉が亡くなった後に日本に撤退するまでの6年間、日本の対馬から戦争物資などを送ってきた釜山拠点の城として使用されました。

釜山浦倭城とは

文禄の役(壬辰倭乱)の時に朝鮮半島に築かれた倭城の一つで、慶長の役(丁酉再乱)が終わるまで倭軍の総司令部と最後の砦として機能しました。釜山浦倭城は釜山鎭城の場所に建てられ、壬辰倭乱の最初の戦いである釜山鎮の戦いが行われました。

釜山浦倭城は約1万人の倭軍と約400隻の船が駐留し、多くの倭将がこの城を通りました。倭乱の終わりである1598年10月 27日には德川家康が「非常時には西生浦城を捨てて釜山城に逃げること」を指示しました。

そして11月24日、加藤と黒田は釜山倭城を焼却して日本に帰国しました。その後は日本人によって保存され、釜山日本城として指定されましたが、後に史跡指定が解除されて現在では甑山公園として一部が利用されており、一番下の曲輪の上には佐川市民アパートが建てられています。

東の海側へ1キロほど離れたところに釜山倭城の出城である子城台公園が見え、正面の影島にも規模の小さな倭城があったというが、今は市街地に変わってその跡を見ることができません。

現在は、頂上部の本丸には市民ための運動器具が設置されている甑山公園があり、東側の二の丸の石垣の上には東区図書館、北側の斜面は住宅街、南側はマンションが造成されています。

二の丸の石垣の上にある東区図書館と佐川市民アパート

釜山市民の憩いの場である甑山公園にある釜山倭城の城壁
東区図書館の駐車場に車を停めて公園の中に入ると、すぐに倭城の石垣が目に入ります。

運動器具が設置された増山公園の遊歩道です。

山の頂上部にある本丸には甑山体育公園に造成されており、そこには3階建ての小さな模型の天守閣があります。

石垣のうえに古いマンションが建てられています。

車の場合、二の丸の東区図書館まで直接行くこともできますが、釜山地下鉄1号線電車を利用すれば、坂道や階段を登りながら城の痕跡を楽しむことができます。

スポット名 釜山倭城 プサンウェスン
부산왜성 busanpo-waeseong
住所 釜山市 東区 佐川洞
부산광역시 동구 좌천동

行き方:徒歩でも行けますが、かなり坂道が続くので、釜山地下鉄1号線の佐川駅で下車後、一般タクシーを利用することをおすすめします。約10分所要

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