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蔚山倭城(鶴城公園)

蔚山倭城(鶴城公園)

1597年(宣祖30)加藤清正が設計し、浅野行長が16,000人を動員して40日余りで築いた蔚山倭城(鶴城公園)は、1597年12月と1598年9月の間に加藤清正らと明・朝鮮の連合軍とのすさまじい攻防戦が繰りひろげられた倭城です。文禄・慶長の役に南海岸ベルトに数多くの倭城を築城しましたが、その中でも最東端に位置する蔚山に築城された倭城です。

蔚山倭城の手前にある市内バス乗り場

朝鮮時代ではこの城が甑をひっくり返したような形をしていることから甑城(シルソン)と呼ばれ、城を築いた山の周辺が島のような地形であることから「島山城(ドサンソン)」とも呼ばれました。

本丸の石垣

1597年12月22日から1598年1月4日まで、1598年9月22日から9月25日まで、朝・明連合軍が2回にわたって蔚山倭城を攻撃したが、結局城を陥落させることができませんでした。当時、朝・明連合軍に包囲された倭軍は食糧と弾薬不足で全滅の危機に陥りました。軍馬の血や尿を飲んだり、紙や土壁まで煮て食べるほど城内の状況は劣悪だったそうです。加藤清正は豊臣秀吉の死後、撤退令により1月18日に蔚山倭城の城郭を燃やして撤退しました。1642年(仁祖2年)、朝鮮王朝は戦艦を停泊できる戦艦倉庫をここに置いていましたが、1654年(孝宗5年)に開雲浦に移しました。

蔚山倭城の周囲

頂上に本丸、西北側には二の丸と三の丸が配された城壁の長さ1,300メートル、高さ10~15メートルの海抜50メートルほどの低い山に築かれ、蔚山市内を貫通する太和江が一望できる蔚山倭城の周辺は開発などで住宅街に変貌されましたが、蔚山倭城の登り石垣や船入址などの遺構は比較的によく残っており、日本からも16世紀の倭城研究者たちが多く訪れます。現在は蔚山市民たちのための運動施設や憩いの空間として利用されています。

三の丸

二の丸

二段城壁

登り石垣

本丸の出入口

本丸

蔚山倭城の本丸から眺めた蔚山市内の風景

船入口

蔚山倭城の入口

蔚山倭城は、泗川船津里倭城順天倭城とともに、倭軍と朝鮮・明連合軍の実際の戦闘が行われた 慶長の役当時の3大戦場です。

スポット名蔚山倭城(鶴城公園)
울산왜성
住所蔚山市 中区 ハクソン洞 100
울산시 중구 학성동 100
電話番号052-229-6350
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