忠清南道 公州市と扶余郡、全羅北道 益山市に分布する三国時代の百済と関連した歴史遺跡として、都の立地選定、仏教の寺院と古墳、石塔の配置などを通じて百済の固有の優れた文化や宗教、芸術美などが認定されて2015年、韓国の12回目の世界文化遺産に登録されました。
忠清南道 公州市と扶余郡、全羅北道 益山市に分布する百済に関連する8ヵ所の歴史遺跡を言います。公州(熊津時代)・扶余(泗沘時代)・益山は三国時代,百済の王都または王城があった遺跡地として、この3か所の考古学遺跡と建築物は韓国と中国および日本の古代王国の相互交流を通じて築かれた百済の建築の発展と仏教拡散に大きな役割を果たしたことが確認されました。
世界文化遺産に登録されている百済遺跡
公州熊津城と関連した公山城と宋山里古墳群、扶余泗沘城(サビ城)と関連した官北里遺跡及び扶蘇山城、定林寺址、陵山里古墳群、 扶餘羅城、そして最後に泗沘(サビ)時代の百済の第二の首都であった益山市地域の王宮里遺跡、彌勒寺址など、これらの遺跡は475年~660年の間の百済王国の歴史を示しています。